
個人的にラモーンズはアルバム数枚持ってるぐらいで熱烈なファンでもないんですけど、デビュー当時のあの4人のメンバーは既に「もう誰もこの世にはいない」という衝撃の事実をつい最近知ったワタクシ。
結成当初のメンバーのジョーイ、ディーディー、ジョニーの3人はラモーンズ解散後10年と経たず50代の若さで、一番長生きだったトミーも2014年に65歳で亡くなっています。
なぜ、そんなことに?!
調べてみたらいろいろと衝撃の事実?もわかったので「ラモーンズ・トリビュート」にして記事にまとめてみました。
偶然にしては衝撃すぎるメンバーの死
ジョーイ・ラモーンがだいぶ前に「がん」で亡くなったことは知ってましたが、その他のメンバーも続々と後を追うように他界していたことは知りませんでした。
しかもみんなまだ現役でいても不思議でない年齢だったうえに、ジョーイの死からあまり時間を置かずして次々とメンバーが世を去っています(各日付は命日)。
ジョーイ | 2001年4月15日 49歳 リンパ腫(血液のがん) |
ディーディー | 2002年6月5日 50歳 ヘロインのオーバードース |
ジョニー | 2004年9月15日 55歳 前立腺がん |
トミー | 2014年7月11日 65歳 胆管がん |
さらに驚愕なのはディーディー以外がみんな「がん」で亡くなっていることです。
そしてこの3人以外にも「がん」で亡くなっているラモーンズ関係者が2人もいることも判明。偶然にしては信じがたい話じゃないですか?!
現在はジョーイとトミーはニューヨーク近郊、ジョニーとディーディーは西海岸LAの同じ墓地内に埋葬されています。
亡くなって20年以上経つ今でもファンの巡礼が後を絶たず、NYのラモーンズゆかりの地は米国の歴史的文化遺産にもなっているそう。
それぞれのメンバーの在籍期間
ラモーンズはトータルで1974~1986年までの約22年間活動しましたが、4人のうちドラムのトミーとベースのディーディーは途中で脱退しています。
トミー | 在籍期間 1974-1978 | プロデューサー業に専念するため。 後任はマーキー |
ディーディー | 1974-1989 | 自身のソロのラップ・プロジェクト専念のため。後任はC.J. |
トミーは脱退した後もプロデューサーとして引き続きラモーンズに参加して「Road To Ruin」「Too Tough To Die」を合作しています。

ラモーンズは長い活動歴にも関わらず商業的な大成功には恵まれなかったものの、解散後にアメリカ音楽界への功績と努力が認められて2002年に「ロックの殿堂」入り、2011年にはグラミー賞「生涯功労賞」等を受賞しています。
とはいえ「殿堂入り」はジョーイの死の翌年、グラミー受賞時にはトミー以外のメンバーは既に世を去った後だったという悲しい逸話が(涙)。
さらに続いた不幸。ふたりの「ラモーン」の死
この方のこと覚えてる人っているかなあ。
1987年のドラマーのリッチー脱退後のラモーンズに急きょ助っ人的にいくつかのギグに参加していたドラマーの「エルビス・ラモーン」という人がいたんですが、彼もまた「がん」のためについ最近亡くなっていることがわかりました。
本名はクレム・バーク(Clem Burke)、2025年4月6日没、享年70歳。
パンク/ニューウェーブ系でけっこう有名だった人で、1975年にブロンディ、1990-2004年にザ・ロマンティックス(1983年に「Talkin’ in your sleep」が大ヒット。けっこう好きだったなあ~)に参加していた経歴があります。
5人目の「ラモーン」もまた・・・
ラモーンズ結成当初から’96年の解散まで、ずっーとラモーンズのクリエイティブ・ディレクターを勤めていたアルトゥロ・ヴェガ氏(1947/10/3-2013/7/8、享年65歳)もまたガンで亡くなっています。
1973年にディーディーと友だちになったのをきっかけにラモーンズと仕事をするようになり、彼らが解散までに行なった2200回を超えるコンサートのほぼすべてに裏方として参加しました。
そういうことからも、ヴェガ氏は5人目の「ラモーン」と呼ばれていたそう。

ヴェガ氏がデザインしたファンにはお馴染みのロゴ。
デザインはアメリカ大統領が公式に使うシールが元になってます。
本物の方は片足に「矢の束」を掴んでますが、こちらは野球のバット。
これはラモーンズの代表曲のひとつ「Beat on the Brat」と野球好きだったジョニーにちなんでのデザインだそう。
(画像はインスタのラモーンズ公式アカ投稿)
しかし、ここまでくるとラモーンズ関係者はなんでこんなに「がん」で命を落とす人が続くのか不気味にすら思えてきますね。
あらためて合掌・・・
【余談】メンバー同士の関係はカオスだった・・・
メンバー全員がラモーン姓を名乗っているぐらいだからきっとメンバー同士の結束は固かったんだろうと思っていたら、実はその反対で内部の人間関係は不協和音だらけだったと知ってまたびっくり。
特に深刻だったのがジョーイとジョニーの不仲問題で、元々ふたりは性格や思想が正反対なうえにジョーイは強度のOCD(強迫性障害)とアルコール依存症に悩まされていたことも一因でした。
OCDって「何度手を洗ってもばい菌が取れてないと錯覚する」「物の位置や配置にこだわり、少しでもずれているのが許せない」といった、常に強迫観念にかられて生活している人のことだよ。
こういう2人の関係に決定的に亀裂が入る出来事が80年代の初めに起こるのですが、それ以降は徐々にお互いに距離を取るようになり、解散後のジョーイの葬儀にはジョニーは参列しませんでした。
このことについてはジョニー本人は「うつ状態になって何も手がつかなかったから」というコメントを残してはいますが・・・
一方、ディーディーが抱える「双極性障害(そううつ病)」と、再三にわたる違法薬物依存もバンドに深刻な影響を与えていました。
結果的に彼はヘロインで命を落としてしまうのですが、そういった不協和音がバンド内のコミュニケーションにも悪影響を及ぼしていたことを匂わせるコメントをトミーが残しています。
トミーは板挟みになって脱退した?!
トミーが後に語ったことによると、彼がバンドを去ることになったのは「恐怖心さえ抱かせるジョニーの威圧的な態度、ディーディーにはゴミのように扱われ、ジョーイにはほとんど無視されていた」のが原因だったとか。
(当時からジョニーは支配的でキレやすいことでも有名で、実際に他のメンバーに掴みかかったり殴ったりした話が残っています)。
しかしトミーが去って新メンバーを迎えてからもバンド内の不協和音は収まらず、メンバー間の敵対もほぼ公になりつつありました。
解散後の1997年にジョーイとマーキーが出演したラジオの生番組中にはお互いのアルコール依存症を巡って口論となり、「ラモーンズ不仲説」は全米の知るところとなったのでした。
結束の固そうだったラモーンズが、実はほぼ内部崩壊状態で活動していたなんて信じられないですね・・・
下は前出の「双極性障害」が具体的にどんなものなのか以前に書いた記事です。参考にどうぞ。
【まとめ】あまりにも早すぎた元祖NYパンクのニキたちの死
1976年に衝撃のデビューを飾った、パンクの始祖とも言うべき「ラモーンズ」のデビュー当時のあの4人のメンバーは現在では「もう誰もこの世に存命していない」という衝撃の事実をご紹介しました。
解散後、1989年のジョーイ・ラモーン(享年49歳)の死を筆頭にわずか十数年の間に次々とメンバーが世を去っています。
しかもディーディー以外のメンバーはみんなガンで命を落としているという、偶然にしては信じがたい事実もわかりました。
それだけにとどまらず、ガンで亡くなっているラモーンズ関係者がさらに二人もいて、もうこれはホラー級のミステリーとしか言いようがありません。
とはいえ、結束の固そうだったラモーンズが「実はバンド内部の対人関係が最悪で、ほぼ内部崩壊状態で活動していた」というびっくり事実も補足として取り上げてみました。
今回の続編記事も準備中。しばしのお待ちを。

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とりぞう
昭和のバブル時代を満喫したBBAです。オトコのような名前ですが、女です。LGBTとも関係ありませんw。 趣味の音楽のことや最近凝ってる「自家製健康酒づくり」etc、「ろぶりーと」はとりぞうが気ままに綴る雑記ブログです。