ラモーンズ巡礼①「NY近郊に眠るジョーイとトミーのお墓」

ラモーンズ巡礼①「NY近郊に眠るジョーイとトミーのお墓」

ラモーンズの解散後、さして時をおかずしてバタバタと亡くなってしまった4人の創設メンバーに関するトリビュート記事をシリーズでupしてます。

今回はニューヨーク近郊に眠るジョーイとトミーのお墓をご紹介します。

それに絡めた現役時代のジョーイのレア映像や、ラモーンズ脱退後のトミーの話題なども。

ニューヨーク郊外にひっそりと眠るジョーイ

今回は取り上げていませんが、ジョニーとディーディーについてはあらためて別記事で紹介する予定なのでしばしのお待ちを。

なぜメンバーがみんな若くして亡くなってしまったのかは、「ショック!ラモーンズの創設メンバーがみんな星になっていたなんて」をご覧ください。

それでは、今回のメインテーマに。

(それぞれのお墓のくわしいロケーションについては記事後半の【まとめ】を参照してくださいマセ)

49歳の若さで亡くなってしまったジョーイのお墓はマンハッタンにもほど近い、ニュージャージー州レインハーストの「ニュー・ザイオン墓地(別名ヒルサイド墓地)」にあります(下画像)。

画像がちょっと不鮮明なのでわかりづらいかもですが、墓碑には下のように刻まれています。

☆ ジェフ・ハイマン ♪

1951/5/19 – 2001/04/15
愛する息子であり兄弟
別名 ジョーイ・ラモーン
ロックの殿堂入りアーティスト

-いつもわたしたちの心の中に-

目立つ装飾もなく、唯一生前の彼を象徴するものは墓碑に刻まれた音符ぐらい。墓石の上に乗っかってるのはファンが置いていった人形かと思われます。

余談ですが、墓石に「ダビデの星」が刻まれているのでジョーイはユダヤ系の人だったと初めて知りました。

ここは郊外の静かな住宅地の中にある古い墓地といった感じで、マンハッタンからは車で20分ぐらいの距離。ジョーイのとなりにはパパ(ノエル・ハイマン氏)のお墓が。

 パパとの貴重なショット。たぶん、肩車されてるのがジョーイ。

今でも多くのファンがお墓詣り?に訪れていて、グーグルマップのHillside Cemetaryには日本人とおぼしき書き込みもありました。

U2を聴きながら静かに息を引き取ったジョーイ

ジョーイはまだラモーンズで活動中だった1995年にリンパ腫(血液の癌)と診断されますが、病気が公表されるのは解散後の死の直前の2001年3月19日になってからでした。

亡くなる直前には入院中だった病室のベッドで、静かにU2の「In a litle while」を聴いていたと伝えられています。

葬儀には元ラモーンズのトミー、リッチー、C.Jの3人とブロンディのデビー・ハリー&クリス・スタイン、そしてジョーン・ジェットが参列しました。

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ガチなファンが訪れるトミーのお墓

こちらは結成当初から1978年まで在籍していたドラマーのトミーのお墓。

マンハッタンから車で1時間ぐらいの、NY州サフォーク郡にある「ニュー・モンテフィオーレ墓地」にあります。

在籍期間が短ったこともあり、訪れる人も少ないのかちょっとさびしい感じですが、墓石の上の小石はファンが置いていったものかと思われます。

ジョーイと同じくユダヤ教を象徴するマークが彫られているので、トミーもまたユダヤ系の人だと知りました。墓碑には本名である「トーマス・エルデーイ」と記されてます。

誕生日と命日のほかにはラモーンズや音楽に関することは一切記されていず、よほどのファンでない限りはここには訪れないのかもしれません。

実は苦労人だったに違いないトミー

1949年生まれのトミーの生い立ちについてちょっと触れておくと、彼はもともとハンガリー生まれのユダヤ人で両親はナチのホロコーストを生き延びたプロの写真家でした。血縁者の多くはナチに殺されてしまったそうです。

その後、最終的に旧ソ連が介入して多数の死者を出すことになる、1956年の「ハンガリー革命」のときに両親とアメリカへ移住。ニューヨークのマンハッタン近郊のクイーンズ区フォレスト・ヒルズが第二の故郷になりました。

ハンガリー系の彼は「タマーシュ」という名前でしたが、米国移住後は英語の「トーマス」に改名。

ジョニー・ラモーンとは高校の同級生で、’60年代半ばに初めて同じバンドで一緒にプレイしています。

(画像はインスタ投稿から。ノー・サングラスのレアなトミー)

結成当初のラモーンズはジョーイ、ジョニー、ディーディーのトリオで、トミーはマネージャー兼プロデューサーとして参加するはずでした。

が、当初ドラマーで参加したジョーイが途中でボーカルへと鞍替え。その穴埋めにトミーが渋々担当する羽目になったという話。

ラモーンズ脱退後の音楽活動(with レア動画)

ラモーンズ脱退以降はプロデューサー業に専念するとともに、2000年代に「Uncle Monk」というブルーグラスを基盤にしたフォーク・デュオを結成。ラモーンズとはうってかわり、アコースティックな伝統音楽を追求するものでした。

意外すぎる転身ですが、トミー曰く「パンクやブルーグラスのような音楽は学校で習うものではなく、楽器があれば誰でも手軽にプレイできるところに両者の共通点がある」とのこと。

後に「胆管がん」を発病しますが病院での治療は効果がなく、その後はしばらくクイーンズのリッジウッドの自宅でホスピスケアを受けていました。2014年7月11日に死去。享年65歳。

下の動画はアコースティック版「Rockaway Beach」。2012年に撮られたもののようです。

和み系のボーカルがいい味出してますね。ソロになってからも「I wanna be your boyfriend」等のラモーンズ時代の曲はコンサートでよくプレイしていたようです。

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兄弟合作のジョーイの遺作動画

再びジョーイの話題に戻りますが、ラモーンズ解散後は2001年にソロ・デビューしていますが、第一作の「Don’t worry about me.」がリリースされたのは彼の死の翌年2002年になってからでした。

動画は同アルバムに収録されているルイ・アームストロングの名曲「What a wonderful world.」のカバー。

このビデオのディレクターであるミッキー・リー氏(Mickey Leigh)はジョーイの実弟。生前のジョーイのプライベートな顔もちょっと覗けます。

余談ですが、実はジョーイは心身共に信じがたいほど多くの障害を持って生まれてきていたことがわかりました。

日本では難病指定されている病気を患っていて、あのヒョロっとした2m近い高身長もその影響だった可能性が高そうです。

そのことについてはまた機会をみつけて書きたいと思ってます。

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【まとめ】ジョーイとトミーのお墓の詳細

ニューヨーク近郊に埋葬されたジョーイとトミーのお墓を、二人に関するレアなエピソードを交えながらご紹介しました。

それぞれのお墓の詳細は下に。墓碑には本名しか刻まれてないので、巡礼の際にはご注意を。

ジョーイ
本名 :Jeff Hymann
1951/5/19 – 2001/4/25
リンパ腫のためマンハッタンの病院で死去

New Zion Cemetary
(別名 Hillside Cemetary)
Orient Way, Lyndhurst, Bergen County
New Jersey, USA
トミー
本名:Thomas Eldelyi
1949/1/29 – 2014/7/11
胆管がんのため自宅で死去

New Montefiore Cemetary
(区画 Section 5, Block 14, Row 31, Grave 31)
West Babylon, Suffolk County
New York, USA

ジョーイのお墓はマンハッタンから車で20分ぐらい、トミーの方は1時間ちょっとかかる感じです。

詳細はグーグルマップでcheck!

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この記事を書いた人 Wrote this article

とりぞう

昭和のバブル時代を満喫したBBAです。オトコのような名前ですが、女です。LGBTとも関係ありませんw。 趣味の音楽のことや最近凝ってる「自家製健康酒づくり」etc、「ろぶりーと」はとりぞうが気ままに綴る雑記ブログです。